プロフィール

変わっている人?私の子供時代

上のが1ページ目。下が2ページ目。

1967年1月、3人兄弟の一番上の長女として生まれました。予定より1週間早く2900グラムで生まれたらしいですが元気だったそうです。

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私には2つずつ年の離れた弟と妹がいて兄弟の仲は良いほうでした。私自身は、あまり親に反抗せず親は扱いやすかったと思いますが、10代、20代の自分は何をしたいのかよくわからずに生きてました。でも人間、生きがあると年を重ねた時いい人生になるのではないか、夢中になれるものを探していました。

1歳半から漫画のような絵を紙に主にボールペンで描いていたのですが、小学校5年ぐらいから漫画を描く読むを親から禁止されました。それでも親のいない所で漫画を読んでいました。当時漫画を読むのが唯一の息抜きでした。小学校、中学校と、なじめなくて、それでもなんとか不登校にならずに卒業しました。今で言うスクールカーストから言ってもどこの派閥にも属さない、圏外というところでしょうか。たまたま父が教員の免許を取っていて児童心理学を知っていたのと、学校になじめない子供がいることをわかっていたので事態が深刻にならずに済みました。

中学生の時は学校の図書室から本を借りて読むのが極上の楽しみでした。小説よりドキュメンタリーが好きでした。特に第二次世界大戦中の出来事に興味を持ち零戦の戦闘機に乗っておられた坂井三郎氏の体験を読んだり、菅井静子氏の「戦火と死の島に生きる」、高木敏子氏の「ガラスのうさぎ」等を読みました。正直、ショックを受けました。親が生きているかどうか心配しながら過ごす日常とは何だろうと頭をもたげましたが、最悪の状況でも力強く生き抜くということを学びました。中学2年の家庭訪問の時に「自分の世界を持っていて良い」と言われましたが一人で行動することが多かったからかなと思います。

学ぶ必要は感じつつも記憶を主にする勉強はちょっと休みたいと思い、家で家事手伝いをしていました。家事は生きる基本ですが、他にもう一つ仕事して社会に役に立つことができないかなと考えていました。

漫画を描くきっかけ

29歳の時、スラムダンクの漫画、アニメを見て絵がきれいだなーと週刊ジャンプを読みました。その時、荒木飛呂彦先生のジョジョの奇妙な冒険第4部を見て私もこういう絵で漫画描けたら、人生楽しくなるなーと思いました。荒木先生の作品の中でジョジョの奇妙な冒険第4部が一番好きなのですがこの漫画を見ているといろんな事を冷静に見られる感じがしたのです。登場人物が危機に陥ったとき一歩引いて物事を観察するさまを見て、そう感じました。漫画は奥深いなと思いました。自分の描いた漫画で他の人がほっこりしたり、新たな視点を持つことができたらいいなと思ったのです。

過去に手塚治虫先生のブラックジャック、美内すずえ先生のガラスの仮面を読んで勉強になるなーと思ったり、感動したことはありましたが自分も描いてみたいと思ったのはこのときが初めてでした。

29歳の時漫画を描いて持ち込みをしましたが、絵が下手なのとストーリー作りがよくわからず、上手くいきませんでした。雑誌の傾向を見て持って行くのすら、よくわからなくて編集者の方に教えていただきました。「あなたに漫画は向いていない、やめなさい。他の仕事をしたほうがいい」と親切に助言してくださる編集の方もおられました。しかし人生は自己責任ならば、漫画を続けるかどうかは自分が決めることだと思い続けることにしました。

しかし漫画の描き方の本を読んでもよくわからなくて漫画を描くのを中断していました。44歳で家庭を持って家事に慌ただしい毎日を送っていましたが、世界で絵を売る術があることを知り漫画の仕事の募集もあるとのことでしたので、自分がどういう人間かを紹介するブログ、セルフブランディングのブログを始めることにしました。

漫画家としての第一歩

https://www.instagram.com/thepodcomic/にて、鮭にしがみついている犬の漫画の絵が載せられています。紹介していただき、キャラクターや世界観を描いたものを見てもらい資格にかなったようでスマホ向けの漫画を描く機会に巡り会いました。自分でも初めて描く動物の世界で、漫画への意欲を思い出させてくれたことに感謝してもしきれません。

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